七五三
七五三とは
私は7歳のとき七五三のお祝いをしてもらいました。着物を着て髪を結い、お化粧をさせてもらったのがすごくうれしくて。千歳飴を持ってご近所様に挨拶をし、氏神様へお宮参りもして、家で親戚を呼んでお祝い会をするなど、雛祭りが簡素だった割りに、七五三はやけにしっかりとやってもらってましたね。家の縁側で写真を撮ってもらったのですが、その表情がすこしはにかむ感じで、今自分で見てもほほえましいです。なーんて。。。
さて、七五三は三歳の女の子、五歳の男の子、七歳の女の子がその歳になったことを祝う行事で、かなり古くからあったようです。ただ、この「七五三」という言葉が使われ始めたのは明治時代からとのこと。"明治11年の『朝野新聞』に「大晦日に七五三の祝い」という記事がのっている"そうです(『日本を楽しむ年中行事』より引用)。
ところで、七五三に関することを書籍で調べていると、「七五三は関東中心」とか「東京などでは・・・」という記述に何個かあたりました。私は千葉県出身なので、七五三って全国的な行事だって勝手に思ってましたが、関東以外の地方では七五三のお祝いはあまりメジャーじゃないのでしょうか?もしご存知の方いらっしゃいましたら、ぜひ教えてください!!
七五三の由来
七五三は、3歳、5歳、7歳それぞれの歳になったことを祝う行事ですが、元は3歳では「髪置きの祝い」、5歳では「袴着の祝い」、7歳では「帯び直しの祝い」という別々に祝っていたものが江戸時代に一緒になったものなんだそうです。これまた全然知りませんでした。 特に7歳については、昔は医学が発達していなかったため7歳までに死ぬ子どもが多く、7歳までは「神の子」として考えられていたそうです。そのため、7歳未満の子どもが死んでも届出を出さなかったり、きちんとした葬式を出さなかったり、7歳にならないと人としての登録もされなかったのこと。このような社会では7歳になれたというのは特別なことで、立派に社会に認められる一員になれた、ということを祝ったのだそうです。
七五三が11月15日となったのは、徳川三代将軍家光の四男徳松(のちの五代将軍綱吉)の体が弱かったので、5歳のお祝いこの日に行ってから。その当時いろいろな暦が使われていたそうですが、その中の宣命暦(せんみょうれき)では11月15日が「鬼宿日(きしゅくにち)」といって最もよい日だったのだそうです。鬼が宿るってなんか悪そうな気がしますが、11月15日にもちゃーんと理由があったんですね。