お花見
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お花見の由来
奈良時代以前、桜は観賞用というよりはその年の農作物の出来を占う花でした。だからこそ「早く散れば凶兆」ということで散るのを惜しんだといわれています。
桜を鑑賞しだしたのは平安時代から。
どうやらその頃から"花"といえば桜になったようで、以下のような桜を愛でる歌が数々詠まれるようになりました。
| いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな |
| 訳:昔の奈良の都の八重桜が、今日は九重の宮中で、ひときわ美しく咲きほこっていることですよ。 |
| 百人一首六十一番:伊勢大輔 |
| 世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし |
| 訳:世の中に桜というものがなかったなら、もっと春は心穏やかに過ごせるのに。 |
| 古今和歌集:在原業平 |
平安時代の花見は公家のものでしたが、やがて武家にも浸透していき、大掛かりな花見が催されるようにもなっていきます。
江戸時代になるとようやく庶民も花見をするようになります。仮装をする者、俳句を詠む者、謡曲、小唄、三味線など、今で言えばカラオケのようなものに興じる者、はては口論、ケンカが始まる(江戸っ子っぽいですよね)など、まさに「花より団子」的なお花見のスタイルへとなっていっていったそうです。
数年前に上野公園にお花見に行ったことがありますが、宴会、カラオケ、曲に合わせて踊る人、手品をする人なんかもいたりして、時代は変わってもやることはあんまり変わってないみたいですね。
'染井吉野(そめいよしの)'
ところで、現在、気象庁から発表される桜の開花予想と開花宣言は'染井吉野(そめいよしの)'が基準となっています。また、普段「桜」というと主にこの'染井吉野'が指されることが多いようです。
この'染井吉野'の登場、実は意外と遅くて明治元年のこと。
東京染井村(今の東京都豊島区駒込)の植木屋 河島権兵衛がオオシマザクラとエドヒガンというサクラを交配して作って'吉野桜'と命名して売り出したそうです。
この名前、読んで字のごとく奈良の吉野山にちなんでつけられたのですが、これでは奈良の吉野山のさくらかと誤解を招くとのことで、明治33年に今の'染井吉野'という名前に再度命名されたのです。
ちなみに、桜の名所で有名な奈良の吉野山や京都の嵐山はほとんどが花と葉が同時に開くヤマザクラです。
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| Photo by (c)Tomo.Yun | Photo by (c)Tomo.Yun |
| '染井吉野' | ヤマザクラ |
種は野生植物に対する分類の単位で、栽培品種は栽培植物に対する分類の単位です。



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